衆議院総選挙まで遂に明日となりました。
与党の自公は私達への政策アピールよりも民主へのネガティブキャンペーンを強めている様に感じます。
CMや新聞広告ではあれほど政党よりも政策をと訴えているのに矛盾していると私は感じます。
ネットや新聞、テレビでも連日『自公政権打倒』や『民主は危険』と報じられています。
私としては人に『自公には入れるな』と人に強制する気はありません。
前回の雑談で公明には入れない方がいいとは言いましたが、あれも意見に過ぎません。
『表現の規制なんてそんな事が起こる筈もない。公明は俺達の生活を考えてくれる』とお考えならば私にそれを止める権利はないです。
ただ、参考として考えて欲しいだけです。
またもや、引用ですがこの一文を読んでもらえれば幸いです。

『政治とはそうした大衆の嗜好の問題にまで口を出すものではない。事細かに国家が介入するならば、あの苦い全体主義の再現となるだろう』
(徳間書店 荒巻義雄著 『新紺碧の艦隊』零巻一話)

全体主義というと首をひねる方もいるかも知れませんが軍国主義、または戦前日本の時代といえばピンと来るでしょう。
当時は敵性言語という言葉で英語は一切禁止にされました。
野球の『ストライク、ボール』の判定ですら日本語での表記に変えられたのです。
更に芸能人の芸名すら不遜だと国家によって改名を強要された例も多々あります。
規模は小さいかもしれませんが、前の国会で与党側が提出した児童ポルノ法改正案はこれと根っこは同じです。
実際に罪を犯し、実在の児童を傷付けたならばまだしも単純所持や将来的にはマンガ、アニメ、ゲーム等に代表される創作物の規制にまで国が介入しようと言うのです。
これがあの戦前の再来と思わずして何だというのでしょうか?
民主に不快感はある方もいるかも知れません、ですが、ネットやマンガ・アニメ・ゲーム愛好者は少なくても自公に入れるのはよくよく考えた方がいいです。
『小異を残して大同を求める』
昔の中国にはこういう言葉があります。
今は政党の好き嫌いという小異は残して、表現規制反対という大同を求める時ではないかと私は考えています。
さて、総選挙前最後の雑談ですが、今回は児童ポルノ法改正案においての新聞やテレビ報道について私として言いたい事があるので書かせて頂きます。
皆さんはこの児童ポルノ法改正案、新聞やテレビよりもネットで情報を収集したと言う方が多いのではないでしょうか?
私もその一人です。
実際各新聞社のオンラインで調べて見ても、さる六月二十六日の審議にそれぞれ記事を出しただけでそれ以後は時折、『与野党基本合意か』等と曖昧な記事が出た程度で殆ど見受けられません。
ですが、各新聞社の児童ポルノ法改正案に対する社説を調べますと笑うに笑えない事が判明します。
読売新聞に代表される大手新聞社は勿論の事、地方紙でも私が調べた限り、軒並み、単純所持規制に賛成、もしくは前向きな社説を書いています。
またその理由も殆どは『国際世論の反発』、『子供の人権を守る』『国際標準にあわせろ』等と規制派の理論をそのまま使っているのです。
無論ですが、『恣意的に使われ冤罪の温床になりかねない』と言った事は少しも書かれていません。
雑談の一と二でも書きましたが、日本の性犯罪は軒並み減少傾向にあります。
そして規制強化を行っている先進六ヶ国の性犯罪は増加傾向です。
そう言った事を調べず、ただ規制賛成だけを書き立てるマスコミの対応には首を傾げざる終えません。
何故なのでしょうか?
『新聞社は日本ユニセフから金をもらっている』と言った論調がネット上では囁かれています。
確かに日本ユニセフのHP上に掲載されている役員名簿上には評議員の中に朝日、毎日、日経、産経、読売と言う大手新聞社の代表取締役社長が名を連ねています。
影響がないとは言えません。
ただ規制に反対しないのは別の・・・それもある意味深刻な理由がある様に私は考えています。
三で引用させていただいた荒巻義雄先生著の『紺碧の艦隊』の中に憂鬱になりたくなる一文がありましたので、引用させていただきます。

『日本のマスコミ・ジャーナリズムが、俄然活気づき、売り上げを伸ばすのは、政界が混乱し政治家たちがスキャンダルにまみれる時である。マスコミというのは建前上正義を売り物にするという社会機構上の役割を分担する組織であるからしてこれは当然の事だ。いささか下世話な話になるが、正義を商売とする者や組織にとって、飯の種は悪である。逆説的になるけれども、正義にとって善行を飯の種になりにくく、従って、自社発行物の売上に関心のある上層部は現場の尻を叩いてこの世の悪を探させるわけだ。』

『「うちの社の編集長と酒を飲んだ時、つい口を滑らせたのでしょうがこう言っておりました。『大衆なんてもんは、いつも不満のはけ口を求めているものだ』と」(中略)『だから新聞はその不満のはけ口を提供してやればいいのだ』(中略)『しかし社会的弱者を標的にする事は公器である以上できない。だから社会的強者を狙うのが一番安全だ』」

(十四巻、上記七話、下記八話)
様は彼らからして見ればどちらであっても損はないんです。
本当に児童ポルノ法に違反し逮捕されたのならば犯人を『子供の敵』等と糾弾し、冤罪であったら警察や司法を『杜撰な捜査』等と弾劾する。
どっちであっても彼らは悪を叩き、自分達は飯の種を得る事が出来るのです。
皆さんまだ記憶に新しいと思いますが『足利事件』で最新のDNA検査の結果、別人の可能性が極めて高いと言う事で、受刑していた方が釈放された時もそうでした。
彼をあたかも悲劇のヒーローとして持ち上げ、その一方では警察や裁判所がいかに彼に無実の罪を擦り付け、十八年間、刑務所に入れてきたかという事を新聞や雑誌に書きたてていました。
彼が極めて悲惨だと言う事は間違いありません。
また警察の自白の強要、裁判所の初期の証拠の妄信、どれも問題があったのも間違いありません。
ですが、そこに報道の罪と言うのが少しも出されていません。
当時の新聞記事などを持っている訳ではありませんので推測ですが、おそらく当時、新聞も週刊誌も彼を犯人として私生活等、ある事ない事を書きたて、彼や彼の家族に多大なる傷を与えた筈です。
現にかつて『メディア・スクラム』として報道の過剰な取材攻勢が問題になった事もありましたから。
それには口をつぐみ、自分達は正義の側として警察、司法を弾劾している。
これは不公平ではないでしょうか。
また、今年の春先におきた草なぎさん(すいません、やはりなぎは漢字では出てこなかったので、ひらがなで書かせていただきます)の公然猥褻騒動。
あれも私から見れば少し報道関連は加熱だった様に思えます。
いくら、深夜の無人の公園だったとはいえ全裸はまずいですし、これは猛省してほしいと当時も思っていました。
ですが、送検される時に集まったマスコミの数に呆れたのはたぶん私だけではない筈です。
まるで凶悪犯扱いです。
たぶん、人気もあり、普段悪評の殆ど聞かない草なぎさんだったからここまで動いたのではないでしょうか?
上の引用にもありますが、軽犯罪でも悪は悪です。
そしてマスコミにしてみればこの騒動は格好の飯の種です。
だからこそああも集まったのでしょう。
色々マスコミ批判をしてきましたが、私は別に報道全てを否定してはいません。
ただ、児童ポルノに代表される様に、論調が余りにも一方に加担されているのは不公平なのではないかと言っているのです。
ですので皆さんも情報を一箇所だけでなく、複数から集めて見て下さい。
これからの時代、私達も理論武装して戦わないといけないのかも知れませんから。

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